復活へ(5) [脳出血から2年]
本当に暖かい日でした。
今日の埼玉県南部は、22℃を超えたようです。
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紹介状を持ち帰った中のもう一方、MRI設備がある医療センターにも行ってみた。
脳神経外科学会の指導医でいらっしゃる先生に診て頂いたが、紹介状を基にした問診での結果はやはり同じであった。もうちょっとで普通、なのだ。
とりあえず2か月後のMRI検査を予約して、後はリハビリに専念するよう言い渡され終了したが、普通だった自分ってどんな感じ?を考え始めると、混乱して訳が分からなくなっていた。
そんな不安を少しでも解消したくなり、新たな紹介状を携えて、国立障害者リハビリテーションセンターにも行ってみる。
所沢の航空公園近くに、とにかく立派な建造物が有るのは知っていたが、以前は気にも留めていなかったのがそれであった。
内部は医療とは縁遠い設備に思えるほど、何もかもが広々としていて、施設感と言うか生活感と言うか、そんなのが全く感じられない、戸惑うほどだった。
診て頂いたリハビリテーション専門の先生からも、また似たような診断を頂き、地元でリハビリに通うので良いし、それ以上を望むのであれば・・・
あくまでも望むのであれば、1週間程度の入院で、更なるリハビリ方法を模索してみても良いですが・・・良いですが、だった。
考えておきます、としか答えられない。
何だか逆に混乱が増したようでも有ったが、とにかく現在の問題点を整理してみる。
まず肉体的には、リハビリに通う事であり、自分の意志で可能な事だ。
とりあえずはメニューを作って頂いたのだから、通い始めた近場のクリニックに慣れよう。
診察結果は何処もほぼ同じだったもの。それに、
もう少しで普通を重ねて告げられていたし、障害を負った他の方から見れば明らかに軽い方だから、続ければよい方向に向かうだろう、大丈夫だ。
もう一つも肉体的、と言って良いのかな、意識を失ったダメージがまだ残っていた。
脳としては前例のない衝撃を受けたからか、フラフラした感覚は薄れつつも引きずっている。
何をするにも無気力で、楽しいという気分も暫く忘れていた。
解決する手立てすら分らない、そもそも自力でなんとかなるものなか。
ただ、もう少し様子を見るしか無いだろう、たぶん時間が手助けしてくれるはずだ。
自分なりに整理してみても、結局は希望的観測ばかりだけど、増すだけの不安を紛らわのが精一杯だった。
そして発症から2か月後、4月の下旬に予約していたMRI検査を受けた。
名古屋で2回、これで3回目になるが、結果は極めて順調な回復であった。
MRIだから出血の痕跡は微かに分かるが、CT検査であれば分からない程度までになっていた。
ただこれは、痕跡にとりあえず体液が満たされただけであって、死滅した脳細胞は戻らない。
しかしそれを補うためのネットワーク構築は途上であるし、現在も続く右半身の痺れはまだ神経回路が出来ていない証らしい。それにしても、途上とは何とも嬉しかった。
だとすれば、身を乗り出して聞きたいのが、構築がどのように進み、何処まで元に戻るのかだ。
だけど答えは・・・分かりません。
そして医療センターとしてはこれで最後、後はリハビリを続けなさい、で終了した。
今日の埼玉県南部は、22℃を超えたようです。
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紹介状を持ち帰った中のもう一方、MRI設備がある医療センターにも行ってみた。
脳神経外科学会の指導医でいらっしゃる先生に診て頂いたが、紹介状を基にした問診での結果はやはり同じであった。もうちょっとで普通、なのだ。
とりあえず2か月後のMRI検査を予約して、後はリハビリに専念するよう言い渡され終了したが、普通だった自分ってどんな感じ?を考え始めると、混乱して訳が分からなくなっていた。
そんな不安を少しでも解消したくなり、新たな紹介状を携えて、国立障害者リハビリテーションセンターにも行ってみる。
所沢の航空公園近くに、とにかく立派な建造物が有るのは知っていたが、以前は気にも留めていなかったのがそれであった。
内部は医療とは縁遠い設備に思えるほど、何もかもが広々としていて、施設感と言うか生活感と言うか、そんなのが全く感じられない、戸惑うほどだった。
診て頂いたリハビリテーション専門の先生からも、また似たような診断を頂き、地元でリハビリに通うので良いし、それ以上を望むのであれば・・・
あくまでも望むのであれば、1週間程度の入院で、更なるリハビリ方法を模索してみても良いですが・・・良いですが、だった。
考えておきます、としか答えられない。
何だか逆に混乱が増したようでも有ったが、とにかく現在の問題点を整理してみる。
まず肉体的には、リハビリに通う事であり、自分の意志で可能な事だ。
とりあえずはメニューを作って頂いたのだから、通い始めた近場のクリニックに慣れよう。
診察結果は何処もほぼ同じだったもの。それに、
もう少しで普通を重ねて告げられていたし、障害を負った他の方から見れば明らかに軽い方だから、続ければよい方向に向かうだろう、大丈夫だ。
もう一つも肉体的、と言って良いのかな、意識を失ったダメージがまだ残っていた。
脳としては前例のない衝撃を受けたからか、フラフラした感覚は薄れつつも引きずっている。
何をするにも無気力で、楽しいという気分も暫く忘れていた。
解決する手立てすら分らない、そもそも自力でなんとかなるものなか。
ただ、もう少し様子を見るしか無いだろう、たぶん時間が手助けしてくれるはずだ。
自分なりに整理してみても、結局は希望的観測ばかりだけど、増すだけの不安を紛らわのが精一杯だった。
そして発症から2か月後、4月の下旬に予約していたMRI検査を受けた。
名古屋で2回、これで3回目になるが、結果は極めて順調な回復であった。
MRIだから出血の痕跡は微かに分かるが、CT検査であれば分からない程度までになっていた。
ただこれは、痕跡にとりあえず体液が満たされただけであって、死滅した脳細胞は戻らない。
しかしそれを補うためのネットワーク構築は途上であるし、現在も続く右半身の痺れはまだ神経回路が出来ていない証らしい。それにしても、途上とは何とも嬉しかった。
だとすれば、身を乗り出して聞きたいのが、構築がどのように進み、何処まで元に戻るのかだ。
だけど答えは・・・分かりません。
そして医療センターとしてはこれで最後、後はリハビリを続けなさい、で終了した。
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